ジャズ徒然草 番外編 その2 デューク・ジョーダンの墓参
 2007年2月初旬、ヤン・ラングレンとカーステン・ダールのトリオの録音の為、デンマークのコペンハーゲンを訪れた。今年の欧州がいくら暖冬とはいえ、やはり横浜に比べはるかに寒い。市庁舎広場の斜め前にある古いビルに大きな寒暖計が備え付けてあるが、上限は30度、下限は零下25度、つまり摂氏0度の目盛がほぼ真ん中にあることからして、いかに北欧の国々が寒いか想像できよう。
さて録音を無事終え、その寒暖計が昼でも零下5度を指すある金曜日の寒い昼下がり、昨年8月にこのデンマークで亡くなったピアニスト、デューク・ジョーダンの墓参りに行った。これも数年前に亡くなったデンマークの“ミスター・ジャズ”と言われたテナーサックス奏者、ベント・イェディックの未亡人、トーヴェ・エネボルセンさんと中央駅の前で待ち合わせ、ジョーダンの墓地のあるコペンハーゲン郊外のヴァルビー(Valby)にタクシーで向かう。トーヴェさんからは既に今日の墓参りをジョーダンの世話を22年間したエヴァさんに伝えられていて、ジョーダンの眠っているヴェストーレ墓地(Vestre Kirkegaardd―西の墓地のこと)の入り口で待ち合わせた。
 この墓地、ヴェストーレ・キルケゴーはまるで映画“第3の男”のシーンに出てくるような広い墓地で、映画のラストシーンに出てくるあの並木道そっくりのものがあり、自分が映画の主人公になったような錯覚を覚えた。墓参りの日の明け方にうっすら雪が降り、そのうえ風も強くずいぶん寒い思いもしたが、長くお付き合いさせてもらったジョーダンの墓参をするということで何か高揚感を覚えた。
墓地の入口で会ったエヴァさんは、既に何度かジョーダンの家を訪れた事のある私を良く覚えていて、顔を見た途端目に涙を浮かべていた。3人で広い墓地の中をジョーダンの墓に向かって歩く途中、エヴァさんはジョーダンのことを思い出したか、ずっと涙を流し続けていた。彼女によるとジョーダンが家で倒れ、病院に担ぎ込まれてたった一日半で息を引き取ったのだそうだ。
4,5分歩いてジョーダンの墓の前に立って驚いた。何処にも墓石が無く、2坪半ほどの地面に、数本の小さな花が植わっているだけ。その横にヤン・ピャーソンが写したジョーダンの10センチ×15センチの写真が無ければここがあのチャーリー・パーカーのオリジナルクインテットのピアニストを勤め、その見事なプレーと作曲で世界のジャズファンを魅了したジャズピアニストの墓と誰も気がつかないだろう。写真の横にこれまた小さな紙切れに“Irving Sidney Duke Jordan”と書かれていたのも悲しい。それにしても墓石の無い墓というのもさびしいものだ。この凍てついた地面の下にジョーダンが眠っているかと思うと、実に感慨無量な気分になった。又数々の問題を抱えて生涯を終えたジョーダンに相応しいような気もした。エヴァさんの話だと、一月後に墓石が完成し、暖かくなればその横に桜の苗木を植えるといっていたのを聞いて、いくらか気持ちが和んだ。
エヴァさんによると、彼女は正式にはジョーダンの籍には入っておらず、ジョーダンの残した遺産(殆ど無い)や権利的なものは、ジョーダンの娘のトレーシー(シーラ・ジョーダンとの間に生まれた子、またジョーダン作曲のTwo Lovesはシーラとトレーシーに捧げられている)が継ぐそうだ。最近のエヴァさんはジョーダンを失ってから食事も細く、アルコールで気を紛らわせているそうだが、私にジョーダンお気に入りだった小さなネクタイピンをくれた。
墓地では日本のジョーダンファンから預かってきたいくばくかのお金(デューク・ジョーダン基金)に花束を添えてエヴァさんに手渡したが、この基金の発案は、以前テディー・ウイルソンがなくなったときに私の2人のジャズの師の一人、瀬上保男氏に倣ったもの。そして実に偶然だが、デンマークに着いた翌日、墓参りの3日前、横浜の家に電話をした時に妻から瀬上さんの突然の訃報に接したのも何かの縁とはいえびっくりしたものだ。
という訳で、大事な録音を終え、同じく懸案だったジョーダンの墓参を済ませホッとした気持ちでまたコペンハーゲンに戻った。エヴァさんは私に「今は家が未だ散らかっていますが、来年またおいでの時には家にお立ち寄りください」と言ってくれたので、又来年デンマークを訪れる機会でもあればジョーダンの弾いていたアップライトのピアノをもう一度見てみたい。
最後に“ジョーダン基金”にご賛同くださった九谷ジャズファンクラブの有志の方々、埼玉県本庄市の喫茶“りんどう”の小林様、その他大勢のジョーダンファンの方々にこの場を借りて厚く御礼申しあげます。

2007年2月19日