ピーター・インド。懐かしい名前だ。今のジャズファンには「ピーター・インド?どんな楽器を演奏する人?」「インド人?」というぐらいの認識しかないだろう。
そのインド、かってレニー・トリスターノの門下生であり、恩師トリスターノは勿論、同じく門下生であったリー・コニッツ、ワーン・マーシュ、ロニー・ボール、サル・モスカ、ドン・フェラーラ、ビリー・バウアー、などと共に1950年代、所謂“クールジャズ”の旗頭の一人として活躍したベーシストであり、また有能な録音技師でもあった。
1928年、イギリス、ロンドン郊外のアックスブリッジ生まれのインドは、若い頃ロンドン近辺で演奏活動をした後、50年代初め、クイーン・メリー号で共に演奏していたロニー・ボールとニューヨーク52番街で当時最も影響力の大きかったチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、バド・パウエルなどのビバッパーたちの演奏を目の当たりにして大きな感化を受け、ニューヨーク定住を決意。また渡米前から大きな関心を持っていたレニー・トリスターノに師事することになる。
52番街でのパーカーその他の巨人達による演奏の凄さは想像をはるかに超えたインパクトをこのイギリス人たちに与えたようだ。又インドはレイ・ブラウン、オスカー・ぺティフォードといった巨人ベーシスト達のプレー振りを食い入るように観察、「大きく、素晴らしい音色の秘密はその左手の使い方にあると看破した」と後年〈1968年〉イギリスのジャズ・マンスリー誌のインタビューで答えている。
ニューヨークでの生活に慣れ始めたインドはその後、リー・コニッツのグループに参加、ストーリーヴィルやアトランティックなどに素晴らしい録音を残している。コニッツをはじめ、ワーン・マーシュ等のトリスターノ派との録音が多いのは当然だが、一方で女性ピアニスト、ユタ・ヒップ〈ブルーノート〉、バディー・リッチ、ロイ・エルドリッジ(共にヴァーブ)等との録音もあり興味深い。ユタ・ヒップとのヒッコリー・ハウスでの録音はルディー・バン・ゲルダーによる好録音もあり、インドの素晴らしい音色と、一ベーシストとしてのインドのサポート振りが如実に伺え参考になる。因みにこのリズムセクション、インドのベースと、エド・シグペンのサトルなドラムにバックを付けられたらピアニストはどんなに幸せなことだろう。もし私がピアニストであったなら先ずこの二人に声をかけるだろうに、、、。
ところで師、トリスターノがリズムセクションに望んだのはドラーマーには正確なタイム、ベーシストには良い音色と正しいノートだったから、何も際立ったスタイリストや、偉大なソロイストはあえて必要としなかった。その点ベーシストとしてインドはトリスターノにとってうってつけの奏者だったわけだが、一方でインドは素晴らしいソロイストでもあった。因みにりー・コニッツの代表作の一つ、“リアル・リー・コニッツ”(アトランティック)に収録されている“ペニーズ・イン・マイナー”におけるインドのソロに是非耳を傾けていただきたい。実にエモーション溢れる、メロディックな歴史に残るソロである。インドにとってもこのソロはお気に入りであったらしく、その昔、レナード・フェザーのエンサイクロペディアに「最も好きなソロである」と答えている。その他、インドのベースに、より触れたいファンには、インド自身のウェーブレーベルから出ていたサル・モスカとのデュエット、“アット・ザ・デン”が良いかもしれない。インドのベースラインと、左手と右手の微妙なタイミングによる素晴らしい音色によるユニークなソロが楽しめる。“You’d Be So Nice、、、”のコードの上に作られた“Upwelling”でのソロでは、右手のひと弾きのうち、左指を3,4度動かしたフレーズが出てきたりして興味深い。
インドの演奏はその音色、深くリッチな響で直ぐに判別できるが(私が数音で判別できるベーシストはインドの他にスコット・ラファロとジョージ・タッカー)これはインドのテクニックとその楽器によるものかもしれない。因みにインドご愛用の楽器は400年前に作られた銘器アマティで、原始的な形のフルサイズ、多分値が付けられぬほど価値のある楽器である。またストリングはスティールではなく、ガットだったかも知れぬ。
さて先ほど“ペニーズ・イン・マイナー”のソロに触れたが、この演奏について、私はほろ苦い思い出がある。今を去る40年ほど昔、高校3年生の時、横浜の“ちぐさ”でブラインド・フォールド・テスト“があり、これも昔、スウィング・ジャーナル誌で永く副編集長だった安藤さんが出題、わりと耳の良かった私は殆ど正解に近かったのだがたった一つ、このピーター・インドだけは判らなかった。後日、安藤さんは「俺が好きだからインド出したけど、判るわけないよね」と言っていた。この時の印象が強く、ピーター・インドというベーシストにのめりこんでゆくことになる。
インドの残した録音を徹底的に聴きこむにつれ、ますますこの素晴らしいプレーヤーに興味を持ち、ついにイギリスに住むインドを訪ねることとなった。今から思えば、インドも驚いたことだろう。それはそうだろう。レイ・ブラウンやチャーリー・ミンガスクラスの大物であればオッカケもいただろうが、、、遠い日本からわざわざイギリスまで会いに来るとは思ってもいなかったはずだ。
今から32年前、1973年春、ロンドン郊外、アックスブリッジのSwakeley Driveのインドの自宅を訪ねた時の印象は今でも鮮明だ。家はごく普通の木造2階建てで裏に小さな庭があった。インドはとても知的な人で、風貌は写真と同じく髪を肩まで伸ばし、一見イエス・キリストではないかと思ったほど。歓談を終えて、未発表の演奏テープからリー・コニッツのグループによる“There’ll Never Be Another You”を聴かせてくれたが、その中のベースソロの部分で、その演奏を聴きながら私の目の前でベースソロを弾いてくれたのは今でも忘れられない。
またその晩、ロンドンの西にあるバーンズの”Bull‘s Head”でライブがありインドも出演するというので車で連れて行ってもらった。その晩は Be Bop Preservation Societyというグループの出演で、レス・コンドン(tp)、ピーター・キング(as)、ビル・ルサージ(p),マーティン・ドルー(ds)そしてインドのベースという組み合わせ。ビバップの曲を中心に、モンクの“エロネル”などを演奏したのだが、丁度その晩、イギリス滞在中のジョー・オーバニーがスポットライト・レコードの社長、トニー・ウイリアムズに連れられ遊びにやってきていた。オーバニーは誰よりもインドのプレーに興味を持ったらしく、“エロネル”でのインドのバッキングとソロに首を左右に振りながら、「Dig him,Dig him」とつぶやいていたのを思い出す。セッションが終わり、空のステージでオーバニーはコートを着たままピアノをポロポロ引き出したのだが、箒を持ったおじさんに「終わり、終わり」と追い出されていた。おじさんにはこのピアニストが、かってチャーリー・パーカーやレスター・ヤングと共演したピアニストだと、全くわからなかったのだろう。
ライブの翌日、インドはロンドン市内の“テームズ・テレビ局”へ連れて行ってくれた。何故かというと、その時インド主演のドキュメンタリー映画“ピーター・インド/ミュージック・メイカー”の編集で行ったのだが、残念ながらこの映画、どうもお蔵入りになったようだ。ただ数年前、アメリカのフィルム・フェスティヴァルでインドのドキュメンタリー映画が上演されたという資料を見たから、もしかしてこれがその時のものと同じかもしれない。
いよいよロンドン滞在の後半、インドは私をウエールズ,ナイトン(Knighton)にある石造りの別荘、ブリ二―(Brinney)に連れて行ってくれた。ブリニーはとても小さな石小屋だが、中にはスタジオがあり、特に驚いたのは数百本の未発表オープン・リール テープが棚の上に整然と並べて整理されていたのにはびっくりした。ほとんど全てインドがニューヨーク時代に自分の録音スタジオで録音したもので、多くはトリスターノ派のもの、そしてズート・シムズのものも有るという。ご存知のようにインドは一頃、ベスレヘム・レコードの録音も多く手がけていたので(マル・ウォルドロンのレフト・アローン、ズートのダウン・ホームなど)、それらの一部がレコード会社に渡らず、彼のコレクションとしてキープされていたのかもしれぬ。だとすれば、ズートの有名な“ダウン・ホーム”と殆ど同時期に録音されたズートの幻のセッション、ズート(ts),デイブ・マッケンナ(p)、ジョージ・タッカー(b)、エド・ショネシー(ds)のオリジナルテープも保存されていたかも知れぬ。それと今話題になっているスコット・ラファロが参加したスティーブ・キューンの未発表録音もインドのスタジオで録音されたそうだから、あのテープのやまの中にはまだまだアッと驚くようなお宝が埋もれていたかも知れぬ。
いずれにしてもピーター・インドは私の5大お気に入りのベーシストの一人だが、今時、インドを肴に熱く語り合える友達など先ずいないだろう。尤もキャノンにお勤めのMさんがインドと親交があると聞いているが、、、。
インドのようなベーシストはもはや時代遅れと見なされても致し方ないが、ただ早く驚異的なテクニックでベースを操るベーシストだけがもてはやされるだけでなく、ベーシストの役割りやより人間味あふれた、リーダーに寄り添うようにアプローチをする奏者にも耳を向けてもらいたいものだ。インドは今、決して人々の話題に上る奏者ではなくなったが、今一度機会があれば50年代の名ベーシストと称えられたこの人に、小さなスポットライトを照らしたいと思っているのは私だけだろうか?(2005/10/5記)
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