MY FAVORITE MUSICIANS
- その1 -
SCOTT LAFARO
私は時々考える。もしも私がジャズミュージシャンで有ったならどんな楽器を選ぶだろうか?先ずメロディーも弾けてリズムも弾けるピアノだろうか?昔“もしもピアノが弾けたなら”という歌があったけれど、確かに楽しいに違いない。夜、誰に聴かせるでもなくピアノをポロポロと弾いて時間を過ごせれば・・・と思うことがある。


そのピアノがだめなら、サックス(テナー)もよいが私はベースを弾きたい。何故ベースかと訊かれても困るのだが、多分ベースの持つ低音域のサウンドに惹かれているからだと思うし、あるいはジャズ界にいる(いた)優れたベーシストに大きな関心を持っている為かも知れぬ。私の好きなジャズベーシストを列挙して行くと・・・古くは Jimmy Blanton から始まり Oscar Pettiford、Ray Brown、Percy Heath、Red Mitchell、Vinnie Burke、Peter Ind、George Tucker、Scott La Faro、Gary Peacock、Chuck Israels、Steve Swallow、Albert Stinson、Doug Watkins、Niels-Henning Orsted Pedersen、Michael Moore、Neil Swainson 等の名前がすぐに浮かんでくるが、それだけではなくもっと多くの“お気に入り”もいる。勿論名ベーシストと言われる Paul Chambers、Richard Davis、Ron Carter なども好みではあるが、上記の人達ほどではない。おっと忘れていた。David Izenzon も私の“お気に入り”の一人である。


これらのベーシストの中から特にを三人を選べと言われたら、躊躇なくOscar Pettiford、Peter Ind、Scott LaFaro の名を挙げるだろう。ところでそのスコット・ラファロが今でも生きていたらどんなに素晴らしかったことだろう。そしてどんなプレーをしていただろうか?歴史的にはラファロ出現以降、より新しい感覚のベース奏法、役割りが始まったとされているが大方この説は正しい。しかし私に言わせれば、より正確には Charlie Haden 以降と思っているのだが・・・。


ラファロは本名 Scott Rocco LaFaro といい1936年、ニュージャージー州のニューアークの生まれ。Roccoという名前からも察しがつくように、イタリア系の人で、1961年、ニューポートジャズ祭の帰り道、自動車事故でこの世を去った。享年35歳。今でも生きていればまだ68歳だから、まだまだ元気でプレーしているはずだ。19歳でプロデビューを果たし(1955年Buddy Morrow オーケストラ)、その後 ChetBaker、Joe Gordon、Cal Tjadar、Victor Feldmanといった西海岸の人達と共演。そしてBenny Goodmanのオーケストラでニューヨークへ進出、以降有名なビル・エヴァンスのトリオで名を高め、次第に前衛派と目される Booker Little、Eric Dolphy、Ornette Coleman といった人達に接近していく。彼の死の直前のニューポートジャズ祭には、Stan Getz のグループのベーシストとして最後の演奏をしており、この時の演奏は現在入手可能。


ラファロという人は若い頃、サックスを吹いたり、一頃、リズムアンドブルースのグループにも在籍していたそうだ。その影響だけでもあるまいが、この人の演奏を聴いていると、初期から晩年まで、他のプレーヤーと頭の回線がちょっと違うのではないかと思うことがある。何時ごろからあのようなバッキングとソロをやっていたのか分からないが、初期の録音を聴いても、一聴、<あっ、ラファロだ!>と直ぐ分かる特徴的なプレーぶりだった。大昔、東京門前仲町に有ったジャズ喫茶“タカノ”で誰かがパット・モーラン(Pat Moran−女性ピアニスト)のレコードをかけたことがあったが、どう聴いてもベースはラファロと思ったのでLPの裏を見ると別人のクレジット(John Dorling?)があり不思議に思った。そして周りの人達に<これは絶対ラファロだ>と強く言ったのだが、答えはいずれも<おれには判らない>。後年このレコードが日本でも発売されたが、その時にはラファロがベースとハッキリ記載されていたので、<ほらみろ>とほくそ笑んだ思い出がある。


それはそうと2,3年前、ラファロ参加と記載されている Hampton Hawes の“Bird Song”が発売された時、ラファロファンの私はすっ飛んでこのCDを買い求めて聴いてみたのだが、どう聴いてもラファロに聴こえず、私の意見をSJ誌の読者のページに投稿したのだが、次号のSJ誌に、そのCDの解説を書かれたO氏が反論してその後、2,3回意見の応酬をした挙句、私の意見どうりベース奏者はラファロではなく、ポール・チェンバースに落ち着いた。O氏は最後に間違いをやっと認め、<このアルバムが又いつか発売されたら、上不氏に解説を書いてもらえばよいだろう>と締めくくっていたのを見て、なにか嫌な感じがしたものだ。まるでどこかの国の政治家のような幕引きではないか?ラファロとチェンバースの違いが判らぬ評論家も少々情けないが、それよりもっと悲しいのは、SJ誌が<皆さんのご意見をお寄せください>とコメントを載せたのにもかかわらず、ほとんど(全く)反応が無かったことだ。ただ私の元へ大阪に住むある方から<ラファロではなく違うベーシストだと思う>という電話がたった一本寄せられただけだった。やはり良い耳を持っている熱心なジャズファンもいるものだ。


それにしても、SJ誌への全くの無反応を考えるにつけ、今のジャズファンにはこのようなことには全く興味が無いのか、あるいはこのようなことに興味をもつような熱心なジャズファンはこの雑誌からすでに離れていってしまったのだろうか?おそらく後者だと思うが、今年(2004年)初めにもEric Dolphyの録音データについてかなり面白い資料をまとめてそれを送ってみたのだが、編集長以下編集部はほとんど興味を示さず結局ボツになって悔しい思いをしたことがある。日本を代表するこの雑誌でこの有様だからこれはもう、<日本のジャズジャーナリズムは三流だ>と断じざるをえない。


さて何時までもカッカしても始まらないので、ここで私の好きなラファロの演奏を挙げてみたいと思う。比較的初期の録音では、Hampton Hawes の“For Real”、Victor Feldmanの“Arrival”あたりが気に入っている。だだ“For Real”はHawesとしては間違いなく二流の作品でラファロの参加とドラマー、Frank Butlerの素晴らしさでもっている作品だ。全くこのドラマーは素晴らしい。一方“Arrival”のほうは、フェルドマンのヴァイブは平凡だが、ピアノとリズムセクションは聴かせる。またいつものように、録音サウンドも抜群の良さである。


Booker Littleとの共演アルバムは私の“お気に入り”だが、欲を言えばLittleは未だ成長過程で今ひとつ成果はあがっていないように思うし、録音もTime社がいうほど素晴しいものではなく、どこかモヤッとしている。ただ“Opening Statement”、“Grand Valse”,そして私の好きな、Alec Wilder の“Who Can I Turn To”などは今でもよくかける。


Bill Evans との共演盤は名演奏が目白押しで、ピックアップに困るが、“ヴィレッジ・ヴァンガード”の録音は音も非常に良く名盤の名に恥じない。またこの録音を聴くにつけ録音について言えばこれは私見だが、1960年代の録音技術が一番素晴らしかったのでは?と思うことがよくある。特性的には現在の録音が勝っているとは思うが、クリアーではあっても何か大事なものがスッポリ抜け落ちているように思えてならない。これは例えは悪いが、山で飲む水は、都会の水ほど清潔ではないし、鉄分や不純物、果ては大腸菌まで入っているかも知れないが実に美味しい。それに比べ、今の録音がまるで蒸留水でも飲むかのような味気なさを感じるのは、なにも私だけではあるまい。アララ、今日は興奮してあらぬ方向へ話題が飛んでしまう。


さてEvans とラファロの録音で私が特に好きなのは“Blue In Green”の演奏で、これは間違いなくエヴァンスの最高作というだけでなく、エヴァンス・ラファロ・モティアン3者による究極の”対話・インタープレー“だろう。この演奏だけとってもこのトリオの歴史的価値は絶大だ。ところでまた録音へ話しを戻すが、ヴィッレジ・ヴァンガードの作品の中でのベースの音といったらじつに驚異的な素晴しさである。狭いクラブでよくぞまあ、こんな音で録れたものだと感心するが、多分楽器間に衝立を立てて,細心の注意をはらって録音したものだろうが、物事何でも一番大事なのは、ハートであるという事を如実に示している。


さてラファロという人は楽器にもこだわっていたそうだが、ラファロのベースの音は大きな特徴がある。従来のベーシストの役割り、つまりリズムだけに徹して弾くのであれば大きく、強い音を出さねばならぬが,そのためにはベースの駒を高く、弦も強めに張るようになる。その点、ラファロのように”対話“にも関心を持った奏者の場合、より早いフィンガリングが必要で、駒をいくらか低めに、弦の張りも少し緩めにして弾いていたにちがいない。私がある弦奏者に訊いたところによると、弦楽器というものは余り強く弦を張ると良い音は出ず、ほんの少し緩めに張ると良い音が出るのだそうだ。それにしてもオリン・キープニュースは良いサウンドエンジニアーを雇ってくれたものだ。


そのオリン・キープニュースだが(リヴァ-サイドレコードのプロデューサー)この人はその昔、プロモーションの為来日したことがある。その折に日本のジャズ評論家や関係者を集めて、いろいろと過去の録音にまつわるエピソードを披露した事があるそうだ。私はあいにくその席に居合わせなかったのだが、伝え聞いた話によるとキープニュースはスコット・ラファロにも触れ、<あいつぐらいお金にうるさい奴はいなかった>と述懐したそうだ。この種の話は面白いから、たちまちこれが広まって<知ってる?スコット・ラファロはお金にきたなかったんだって!>とラファロの評判が落ちてしまった。勿論これは彼の演奏についてのものではなく、ただプライベートな話題にすぎなかったにすぎなかったのだが・・・。この話は2,3人の知り合いからも聞いたからキープニュースがしゃべったのは事実だったに違いない。キープニュースの話によるとラファロは録音スタジオで、演奏中でも途切れることなく給料アップを要求していたという。経験豊かなキープニュースからすればもっともっと扱いにくいプレーヤーはいくらでも居ただろうからことさらラファロだけを非難の標的にしたわけでもないのだろうが、なにしろラファロは日本で特に人気の高いプレーヤーの為、このエピソードのインパクトが強かったのだろう。


ただここで私は思うのだが、私もキープニュースと同じくレコード製作に関わる立場(彼に比べればはるかに経験不足は承知しているが)から言わせてもらえれば、ジャズメンだって人の子、ジャズで生計を立てているわけで、奥さんもいれば子供もいる、良い車も買いたいしより良い生活もしてみたいで給料アップは大問題。録音中でもしつこく昇給を主張したのは、よほどせっぱつまっていたのではないだろうか?この話がビル・エヴァンスとのリヴァーサイドの録音中のことであれば、当時のジャズ界でのラファロの評価はかなり高くなっていた筈で、もしキープニュースがラファロにスケール(最低保障給料)で雇って使っていたならばこれは別問題。もしそうであったなら、かえって、<キープニュースというプロデューサーはとてもガメツイやつだった>と言われかねない。私はラファロのファンだからこのような話になると、どうしてもジャズメンの肩をもってしまう。それはジャズメンだってガメツイ男も多いとは知ってはいるが、それ以上にガメツイプロデューサーも多いはずだ。


さて最後に、これは私が仕込んだラファロに関するオリジナルのエピソードを紹介しよう。もっともこのエピソードは、1991年ジャズ批評誌にコレクターの岡村 融氏との対談で披露したものだからすでにご存知の方もいらっしゃるかも知れないが・・・。それは1990年、当時ストックホルムに住んでいた、名ベーシスト、レッド・ミッチェルにインタビューした時のこと。私が夜、アーティリ通りに住んでいたミッチェルにインタビューした時のテープは今でも持っているが、その中で昔のパーカーや、パウエル、トニー・フルッセラについての話は面白い。中でも興味をひくのはラファロについてのお話。スコット・ラファロのベースの音は大きかったか?<ラファロにとって私はベースの師だったはずだ。彼にツーフィンガーテクニックを教えたのは私だった。ただ彼ほど音の小さなベーシストを私は知らない。ある時、サンフランシスコにあった“ブラックホーク”というクラブに彼がスタン・ゲッツのグループで出演していたが、他のメンバーはスティーブ・キューン(p)、ロイ・ヘインズ(ds)だった。1週間ほどして私が聴きに行くとゲッツに呼び止められ、ベースを弾いてもらえないか?と頼まれた。その理由のひとつは、その時ラファロが弾いていた楽器は以前私が弾いていたもので、それを修理してラファロが弾いていたのでその調子みてくれと。そしてこれが大事なのだが、奴(ラファロ)の音が小さくて全然聴こえないんだ!!!>このことからも、録音の魔術がお分かりいただけよう。


それにしても前述のパット・モーランやハンプトン・ホーズの録音秘話の例をみても、どうも私にとってラファロは因縁深いジャズマンに思えてならない。彼と私はもしかして“赤い糸”ならぬ“4本の糸(弦)”で結ばれているのかも知れない。