思い出のジャズクラブ/ジャズ喫茶
- その4 -
2005年ニューヨーク・“カフェ ボヘミア”
生まれて初めてニューヨークに行くことになった。今まで何となくニューヨークに行きたいとも思わなかったし、また行く用事も無かった。世界のメトロポリタン、ニューヨーク(以下NY)の魅力について多くの人達から聞いてはいたし、興味もあったのだが、私のテイストからいっても落ち着いた雰囲気のヨーロッパにどうしても惹かれていたからだ。今回は録音の仕事もあり(ヤン・ラングレン)どうしてもいかざるを得なくなった。


諸経費含めて51500円というコンチネンタル航空の格安便でニューアーク飛行場に降りたったのは5月26日だった。ニューアークというと私には飛行場のイメージより、アル・ヘイグやスコット・ラファロが生まれた街という印象が強く、飛行場の周りをキョロキョロ見回して感慨にふけってしまう。


28日のリハーサル、31 日、6月1日の録音までせいぜい2,3の友人に会う程度で他に特別用事も無かったし、特にライブを聴きにいくとか、レコード店を廻って中古盤をあさる気も全く無かった(それでも結果的に2つのライブ、17枚の中古レコードを買ってきた)。勿論、メトロポリタンやグッゲンハイムといった美術館にはかなり興味もあったし、野球も見たかったが今回はやめにした。何しろのんびり、ボーっとしていたかった。しかしそうは言っても,ここだけはどうしても行って見たいという場所が一つだけあった。それは昔、ジャズクラブ、“カフェ・ボヘミア”が有った場所だ。何人かの人から、いまだにここだけは、たとえその名が変わっても同じ場所でバーとして営業しているという話を聞いていた。また昔ある雑誌で<カフェ・ボヘミアはうなぎの寝床のように細長い店>ということも聞いていた。多くのNYの懐かしいジャズクラブが今は無く(ビレッジバンガードは別)、それらの建物自体も姿を消してしまった今、強く郷愁を感じることが出来るのはそこだけ、という気がしていた。今回の旅行中、何と3回も行ってしまったのだから、我ながらあきれる〈そのうち1回はヤン・ラングレンを連れて行った〉。私にとってこのような場所を訪れるということはかけがいの無いことで、美術館へ行くことよりはるかに興奮することだ。私はセンチメンタリストである。


さてそのボヘミア、グリニッチ・ビレッジのバローストリートにあったことは知ってはいたが、番地までは覚えていなかった。それでも手持ちの未発表テープの中に、カフェ・ボヘミアからのリー・コニッツの放送録音でアナウンサーが「バロー・ストリート15番地、カフェ・ボヘミアからお送りします」の紹介を思い出し、ワクワクしながら訪ねていった。この通り(Barrow Street)は、いわゆるNYの喧騒から逃れた静かな所で、150年以上経つ古い建物も残っていて、ほんの少しヨーロッパの町の佇まいを感じさせる。目指す15番地はすぐわかった。50メートルほど手前から「あれに間違いない」という趣のある建物だったから、、、。入り口には<Alle House>と書かれた看板が掛かっていて、白い馬の顔の絵が描かれていた。


中に入るとわりと昼でも薄暗く、つきあたりにテレビがありNYメッツの試合がかかっていた。お店のギャルにビールをたのんで、周りをキョロキョロ見渡す。ギャルは挙動不審の男に目を光らせ、怪訝な面持ち。ビールを受け取り、理由を話す。「ここが今から50年前、有名なジャズクラブだったの知ってる?」と訊いたが、「、、、、、、、」、私に関係ないといった面持ち。「写真撮ってもいい?ビデオ撮ってもいい?」と訊くと、「どうぞ」と言って引っ込む。そしてじっくり店内を観察してみると、入り口は幅約7メートルぐらい、奥行き約18メートルぐらいで、うわさの<うなぎの寝床>というほど細長くは無い。正確に長方形の形で、私が持っている店内が写った写真、トニー・スコット カルテットと、1955年、トニー・フルッセラ、アレン・イーガー、ディック・カッツ(カッツはトラでそれまでデューク・ジョーダンがピアノ)、オスカー・ぺティフォード、ケニー・クラークが写っている写真から判断すると、ステージは入り口から突き当たった今テレビが置いてあるあたり。ステージ以外はすべて客席だったはずだから、楽屋は何処にあったのだろう。


又次の日に行ってみた。ギャルは「又来たの?」という顔つき。今度はコーラを注文する。話し相手も無く、ただキョロキョロするだけではいよいよギャルに嫌われそうな気もしたが仕方なし。又コーラだ。そしてまたビール。お腹がガボガボだ。そのうちトイレに行くため階段を下りていくと何か突然霊気を感じた。この感じ、昔小田原の豊臣秀吉の一夜城に行ったとき感じたものとそっくり!!!トイレはレンガ造りの地下の一部にあったが、その横の部屋!!!今は何も使われてないような5坪ほどの薄気味悪い小部屋が呼んでいる様に感じたのだ。恐々観察すると、どうもここが昔のボヘミアの楽屋だったのでは?いや、そうに違いない!!!だってこの霊気、尋常ではない。アート・ブレーキー、ミンガスの顔が壁に映っている?!?!ワー、怖わ―――――。


ところでこのカフェ・ボヘミア、このクラブについてはプレスティッジ盤、<ジョージ・ウォーリントン ライブ!アット カフェ・ボヘミア>にアイラ・ギトラーが触れている。要約すると、「昔カフェ・ボヘミアというナイトクラブがあった。バローストリートの17番地(15番地の間違い)、今なお現存する老舗のレストランである。初代音楽監督はオスカー・ぺティフォードで次はジョージ・ウォーリントン。ボヘミアがそれまで提供していたサービスは、衣裳を脱いだ女の子たち、と言っても今のトップレスやボトムレスよりはよほどおとなしく、ストリップでさえも無かった。1955年の春から、ジャズミュージシャンたちがバンドに加わるようになり、ある夜、チャーリー・パーカーとアレン・イーガーがやって来たことがある。クラブのオーナー、ジミー・ギャロフォロが、ジャズを売り物にしようと思い立った。パーカーが初回のリーダーを務めることになり、そのイベントを大きくうたった看板も作られたが、不幸にもそれは使われずじまいで終わった。しかし、ジャズをやるという計画は進行し、盛んに演奏されるようになった>。


このボヘミアのあった15番地の斜め向かいの4番地には、かってパーカーが友人のテッド・ジョーンズ〈詩人〉と小さな部屋で暮らしたこともある建物がある。またこの近辺には、カフェ・ソサイティーや有名なオープン・ドアーが有ったから、パーカーはじめ、当時のジャズメンたちが頻繁にこのあたりをうろついていたのだろう。そして私の好きなトニー・フルッセラはこのすぐ近くのコーネリアストリートに住んでいた。


さてこのボヘミア、1955年ごろから多分58年ごろまで存続したと思うのだが、このクラブはライブ録音、あるいは放送録音のため場所を提供するのに積極的だったらしく、思いつくままあげても、例えば作品として先ほどのジョージ・ウォーリントン〈オリジナルはプログレッシブ〉、アート・ブレーキー、ケニー・ドーハム〈共にブルーノート〉、チャーリー・ミンガス(デビュー)があり、そのほかにも有るかもしれない。


一方、これは放送録音で一般にはなかなか入手困難だが、先ほどのリー・コニッツのトリオ(サル・モスカ−ピアノ、シャドー・ウィルソンードラムス)、バディー・デフランコのクインテット(ドン・フリードマンーピアノ、ディック・ガルシアーギター、ウィルバー・ウエアーーベース、ウィル・ブラッドリー・ジュニアードラムス)、ジェイ・ジェイ・ジョンソンのクインテット(ボビー・ジャスパーーテナー/フルート、トミー・フラナガンーピアノ、ウィルバー・リトルーベース、エルヴィン・ジョーンズードラムス)などがある。因みにこのジェイ・ジェイの放送録音は今から28年前、私が350枚の限定のLPで出したことがある。そしてこの秋、これをオリジナルの形で、LPとCD、各々限定999枚、シリアル番号を入れて再び出す予定でいる。もしマシュマロレコードへご予約頂ければ、早い方順に若い番号でご用意できるのでお申し込みください。


さて話をボヘミアに戻すと、このクラブ、主にモダンジャズのスターたちを中心に出演させていたが、資料によるとロイ・エルドリッジやベン・ウェブスターなどのより古い世代のスターたちも出演していたようだ。それとすっかり忘れていたが、1956年、トランペッター、ジェリー・ロイド、ピアノ、ジョン・ウィリアムスを擁した当時のズート・シムズのクインテットに何とソニー・ロリンズ(!!!)が客演した演奏が放送録音として残っているはずだ。何故かというと、ボイス・オブ・アメリカと印の入ったマイクロフォンの前で演奏するこのグループのボヘミアでの写真をみたことがあるからだ。


そしてこれはごく最近手に入れた情報だが、今アメリカのあるレコード会社(ある人)がマイルス・デイヴィスのボヘミアでの放送録音を正規の形で発売するように作業を進めている。それは1956年9月15日と29日〈多分〉、そして1957年4月13日の3日分、メンバーはマイルスのほかコルトレーン、ガーランド、チェンバース、フィリー・ジョーのグループで、曲目は、Well,You Needn’t/It Never Entered My Mind/(15日)、Gal In Calico/Stablemates/HowAm I To Know(29日)、The Theme/Woody’n You/Walkin’/All Of You〈4月13日〉、それからテナーがコルトレーンからソニー・ロリンズに変わり、ドラムスがフィリー・ジョーからアート・テイラーに変わった1957年7月13日と20日の2日分、曲目はFour/Bye Bye Blackbird/It Never Entered My Mind/Walkin’(13日)、Dear Old Stockholm/Bags Groove/Nature Boy(!!!)/S’posin’〈20日〉といったとても興味深いもので、オリジナルはバンドスタンドUSA、音質はこの手のものとしては良いほうだという。早く実現してもらいたいものだ。ただしこれらのいくつかはコレクターの間ですでに出回っている。


このようにボヘミアに出演したプレーヤーを見てみると、概してコンボ主体(ステージが狭い為)、同じジャズクラブでもバードランドなどはよりエンターテイメント性の強いグループも数多く出演させる傾向もあったが、このボヘミアやハーフノートなどはよりハードな、より当時気鋭だったグループを出演させていたように思う。私がこのボヘミアというクラブに惹かれる理由は、いかにもビレッジを感じさせる佇まいと、カフェ・ボヘミアという名の響、そして短命に終わったこのクラブへの郷愁のようなものだろうか?ここでひとつ考えるのだが、せっかく今でもこの由緒ある場所に、同じような佇まいで残っているのだから、今一度ジャズクラブ“カフェ・ボヘミア”として再開できないものだろうか?因みに私のNY滞在中このすぐ近くのコーネリアカフェでテッド・カーソンとヘンリー・グライムスのDuoもあった。やはりNYは今でもジャズの中心と改めて感じたものだった。


それにしても気に掛かるのは、ボヘミア開店時のチャーリー・パーカー出演を記した看板、どこへ行ってしまったのだろう?