思い出のジャズクラブ/ジャズ喫茶
- その3 -
"RONNIE SCOTT'S"
イギリスはロンドンにあるRonnie Scott'sは今現在残るジャズクラブとしては最も歴史の古い名門ジャズクラブのひとつと言えるかも知れぬ。ニューヨークにあるVillage Vanguardの開店は1940年代だというから、1950年代に開店したこのRonnie Scott's はそれには及ばないものの、間違いなく"老舗"と言えるだろう。開店当初はロンドンのソーホーにあるGerrard Streetにあり、地下のごくごく小さなクラブだったそうで、出演者も地元イギリスのアーチストだけであったが、その後現在のFrith Street〈同じくソーホー〉に移転してから有名アメリカ人アーチストが多数演奏するようになった。思いつくままその名を上げてみると、Stan Getz,Al Cohn、Zoot Sims、Bill Evans、Sonny Rollins、Ella Fitzgerard,Oscar Peterson、Roland Kirk,Miles Davis,Archie Schepp,その他所謂ジャズ界のWho's Whoと呼ばれる大物アーチストが目白押しで、これはもうニューヨークの超一流のジャズクラブと比べてなんの遜色もない。聴くところによれば、60年代の初めにここを訪れたドラマー、シェリー・マンがクラブの素晴らしさに憧れ、帰国後LAで自分のクラブ(Shelly's Manne Hall)を開店したというエピソードが残っているほどだ。


このクラブを始めてみようと思い立ったのはイギリスを代表する二人のサックス奏者、Ronnie Scott とPeter Kingであった。この二人はとても馬が合ったようで、あまりお互いにトラブルもなかったようで〈いろいろな意味で、、、〉このように永い間にわたって経営を維持できたのだと思うが、多分音楽面〈ブッキング〉はScott,経理面はKingと役割りを分担していたのだろう。この二人の仲の良さを見るにつけ、Al Cohn、Zoot Simsの二人を思い出した。この二人もジャズ界の中では知らぬ者がないほどのお似合いのカップル(???)で、私などいつもこの二人を<ずーッと(Zoot)一緒に歩こう(Al Cohn)>と形容している。勿論この二人もRonnie Scott'sの常連で、ズートの人気盤、"Cookin'"もこのクラブで録音されている。


さて私はこの名門ジャズクラブに2度行った事がある。最初は1967年11月。それまで皿洗いなどしながらヨーロッパを放浪して10月一杯、ロンドンの南のブライトンのセント・ジャイルス・スクール・オブ・イングリッシュという学校で英語を学んでいたのだが、ある時猛烈なホームシックに襲われ、帰国を決意、ドイツ、エジプト,タイ、香港を経由して帰る途中"エエイ!!最後の楽しみだ!!"とか何とか勝手に理由をつけ、ロンドンに5日ほど滞在した時に行ったのがこのクラブ。その時にはロイヤル・フェステイヴァル・ホールでスタン・ゲッツのカルテット(Getz w/Corea,Booker,Haynes)も楽しんだ。


ロニー・スコッツ・クラブは日本で言えば新宿歌舞伎町のようなちょっと怪しげな地域にあり、20歳の日本人の若者がひとりで行くには勇気の入るところで、案の定、ヒヤヒヤものの経験をしたが、これは今でも思い出したくない。其の晩のだしものは1部がオーナーのロニー・スコットのグループでスタン・トレーシーのピアノ、ロン・マシューソンのベース、トニー/オクスリーのドラムスだったように記憶するが昔のことなのでいまひとつはっきりしない。唯一つ強烈な印象だったのはマシューソンのテクニカルな演奏で、これは凄いベーシストになると思ったがその後伸び悩んだようで残念だ。スコットの演奏が終わり〈1セット〉、スコットの<真に素晴らしいアーチー・シェップをご紹介します!!!>の言葉に導かれシェップのクインテットがステージに上がる。Archie Shepp(ts)、Roswell Rudd,Grachan Moncur(tb),Jimmy Garrison(b),Beaver Harris(ds)のグループで今から思えば、シェップの持った最高のユニットだった。シェップただ一人、例のアフロスタイルのガウンを着て、他の4人はスーツで決めていた。演奏は同じ時期のドナウエッシンゲンのジャズ祭の作品と殆ど同じ、1曲1時間、シェップの長いソロの途中でスローテンポになり"シャドウ・オブ・ユア・スマイル"が出てくるのも同じだった。ところで十分楽しめたか、と訊かれても<85点?>と答えるようなステージではあったが、確かに迫力はあった。演奏後、ジミー・ギャリソンにサインを求めたが、彼の左目の下に大きな傷があったのを今でも覚えている。いずれにしても、今となっては、"シェップがシェップをしていた"頃の演奏を聴けて幸運だったと言えるかもしれない。またこの晩撮った写真は"DIG/DUG"の中平さんのはからいで、スイングジャーナル誌に載せて頂いた。


そして2度目にこのクラブを訪れたのは1973年春。このときはベーシスト、ピーター・インドとジャズ評論家マーク・ガードナーに会ったときだった。このときの出演者は1部、タビー・ヘイズ、2部フレデイー・ハバードのクインテット(テナーはジュニアー・クック)だったが、この時は1部のヘイズの方が面白かった。ヘイズという人はかなり小柄でプックリしており、髪を長めに〈小泉首相の髪をもっと長く〉して、私が抱いていた印象とはかなり違っていた。テナーのほかにフルートも吹いたが、テナーの方は、ロリンズ、グリフィンをベースに、当時の影響でコルトレーン少々〈味の素を少し入れた〉と言った印象で、確か2,3年前に、この当時の演奏がCDになって発売さてたはず。


ところで今でも実に不思議な気がするのは、、、、。実はこの晩、客席にスーツを着たテナーサックス奏者のブルー・ムーア(Brew Moore、ブリューではない!!!)を見かけたのだが〈間違いない!!!〉、そのムーアと、ロンドンへ行く前、コペンハーゲンに立ち寄り"モンマルトル"でデクスター・ゴードンを聴いた時、客席にベン・ウエブスターの姿も見ている〈デクスターに乞われてSundayを吹いた〉。そして其の晩のタビー・ヘイズ。私の記憶に間違いがなければ、この3人はこの年(1973年)にそろって亡くなっている!!!偶然とはいえ、実に奇妙で、不思議だ。ウエブスターとヘイズは病気によるものだからこれは致し方ないが、ムーアの方は、、、チボリ公演のレストランの階段から転げ落ち首の骨をおっての事故死だから、奇妙だ、不思議だなどといったレベルの話ではなく、しかも3人ともテナーサックス奏者と来ては、これはもう薄気味悪いとしか言いようがない凄い話だ。