ジャズ喫茶というのは外国にはあまりなく(ぜんぜん無いわけではないが)日本独自のものだと思うが、私はアメリカにただ一度しか行ったことが無く、しかも西海岸だけなのでアメリカの事情はわからない。、広いアメリカのことだから日本のそれと全く同じではないにしても、ニューヨークなどにも有る(有った)と思われる。事実、パリの“シャ
キペーシュ”はジャズクラブではあったがライブの無い日はレコードコレクションをかけて、お客に聴かせていた。このクラブの近くに有った“ストーリーヴィル”もそうだし、“プリンス通り”に今でも有る“麦わら帽子”などは、日本のジャズ喫茶とほとんど同じである。この“麦わら帽子”のオーナーは大のジャズファンで、自分でレコードレーベルを作ったぐらいの人である(Bloomdido
Records).
さてジャズ喫茶といえば、私が高校1年生から入り浸っていた横浜の“ちぐさ”から話を進めるのが筋だろうが、今日はかって東京の有楽町に有った“ママ”を懐かしんでみよう。最初に“ママ”に行ったのは高校2年生の時で、有楽町駅に近い、コリドー街という路地に有って、路地の入り口の真ん中に何故か大きな白い“招き猫”が“いらっしゃいませ”といった感じで右手をあげていた。“ママ”は通りの右手にあり、中に入るとそれこそ“うなぎの寝床”のような細長い店で、突き当たりにコーヒーや紅茶をいれる厨房があり、左手奥にレコードをかけるプレーヤーがあった。有楽町というビジネス街にあるぐらいだから、あまり薄暗いという感じではなく、お客もあまりトッポイ人は少なくて場所柄サラリーマンが多かったように記憶している。
高校2年生といえばちょっとツッパッてみたいと思う年頃で、私も気が小さいくせに学生服に学生カバンを持って、山に登る時(私は山岳部部員だった)に持っていく金属性の水筒にいきがって酒、といっても梅酒(!!!)をかなりうすめて(!!!)<さあ、俺を見ろよ>とばかり“悪(ワル)をきどっていい気になっていた。ここのマスターと、お手伝いしていた女性はいずれもかなりの年配で(多分夫婦)60歳ぐらいにみえたが、いかにもジャズ喫茶経営者といった感じの人ではなく、ごく普通の感じの二人だった。
だがマスターは見かけと違い少し変わっていた(どこのジャズ喫茶のマスターも多くは変わった人が多かったが、・・)。というのは、レコードをかける前にいちいちレコードの説明をしてから、やおらかけるのである。“乗ってる”日にはかなりの長さで説明をして、自分でウットリしていた。説明が長いのも困ったが、もっと困ったのがレコードの録音年月日を“昭和何年”というのが癖らしく、いちいち1900何年と換算しなければならなかったことだ。例えば、<これは有名なマイルス・デヴィスの“バグス グルーヴ”という録音で、昭和29年の録音です>と来るから、<ええと、俺の生まれたのが昭和21年だから・・昭和21年は1946年なので8足して1954年か>という具合。ややこしいことこの上ない。説明する本人だって、レコード裏の解説を見れば、多くの場合1900何年と出ているのだからなにもわざわざ昭和に直さなくともよかったと思うのだが、マスターなりのこだわりがあったのだろうか?
このユニークなマスターのいる“ママ”での一番の思い出といえば・・・これは今でも忘れようにも忘れられないエピソードがある。ある日の夕方、コリドー街の入り口にある“招き猫”の鼻をなでてから“ママ”に入っていくと,どういう訳かマスターはいず、奥さんだけだった。私は当時からスタン・ゲッツの大ファンで、まだ持っていなかった“Stan
Getz Plays”の中に入っている”The Way You Look Tonight”(邦題・今宵の君は)を聴きたくて、リクエストをしようと奥さんの所へ行った。このオバサンに“The
Way You Look Tonight”と言っても分からないと思って(なにしろ旦那が昭和何年の人だから・・・)こちらも気を利かせて<スタン・ゲッツの”今宵の君は“の入っているレコードかけてください>とお願いした。その時オバサンはうろたえ、何と!<うちには歌謡曲はありませんよ!!!>との答え。愕然として何がなんだか分からなくなった上不少年。それからが大変だ。色々説明するのだが・・・<ほら、昭和27年の録音の>とかいってもラチがあかず(注・昭和で換算するのは旦那の特技で、奥さんはまるで苦手だったようだ)、最後に<ほら、スタン・ゲッツが子供と一緒に写真に写っているやつ>といって始めて気がついた始末。この時の奥さんの困惑の、いかにもバツの悪そうな表情は今でも眼に浮かぶ。美人や超可愛い女性の顔は今でも思い出せるが、この歳のオバサンの顔を今でも思い出せるのは後にも先にもこの人だけ。お互いにとって幸といおうか、不幸といおうか・・・(ためいき)。
ところが“ママ”の思い出はこれでは終わらない。後年“ママ”はある事情で新宿東口のビルの2階か3階へ移転した。よせばよいのに、またあの二人の顔を見たくて(そうでもないか?よっぽど暇だった?)わざわざ新宿まで出向いて行った。旦那は元気だったが例の奥さんの姿は残念ながら見えなかった。ガクッ・・・。その代わり店の入り口に妙な張り紙がしてあった。曰く、<下駄履きの方、黒メガネの方来店お断り>。これを見て、またまた上不青年(すでに青年になっていた)のいたずら心がムラムラわき上がってきた。黒メガネを買うには金が無い。新宿で黒メガネではさすがにその筋の人に脅かされかねない。結論。今履いている高歯の下駄でまた行くことにした。ビルの1階からカラコロ音をさせながらドアを開けて入っていった。マスターが嫌な顔をしたのは当然だった。しかし嫌な顔をしたのはほんの一瞬だけで、後は気にしている素振りはなかった。今から思えば、有楽町というビジネス街から、新宿というちょっときわどい街に移転して、その筋のお客の来店を阻止しようとの考えだったのだろう。その日に何をリクエストしたかは忘れたが、覚えているのはマスターのレコード説明は無く、例の<これは昭和何年の録音です>という懐かしいフレーズを聞くことができなかったことだった。マスターも歳をとったのだ。もしかして、奥さんも体を悪くしていたのかもしれない。その後暫くしてまた店を訪ねたが(このときはチャンとした靴、黒メガネなし)、すでに店はなかった。やはりどこか寂しい気がした。当時のジャズ喫茶にはツッパッた、若いマスターもいたが、“ママ”のようにチョッピリ変わった、しかしどこか人間くさい人達もいた。<昭和何年録音>と説明しながらかける、やはり人間くさいジャズの衰退と共に姿を消していったのだろうか? |