思い出のジャズクラブ/ジャズ喫茶
- その1 -
JAZZ CLUB "LE CHAT QUI PECHE"
Jazz Club“Le Chat Qui Peche”(ル シャキ ペーシュ)はパリのサンジェルマン デ プレのウシェット通り(rue de la Huchette)4番地にあった小さなジャズクラブである。シャキペーシュというのは“魚を釣る猫”という意味で、すぐそばにパリで最も小さな通りと言われる同名の小路がありこれに由来している。黒塗りの店の入り口の上に、猫が魚を釣っている面白い看板が掛かっていたのを覚えている。確か1956,7年から営業を始め、1970年代にクローズされた筈だが、私にとってデンマークのコペンハーゲンにあったカフェモンマルトルと並んで最も思い出深いジャズクラブである。


パリの本格的なジャズクラブは1950年代からサンジェルマン界隈を中心にでき始め、例えばレスター・ヤング、アンリ・ルノー等が出演し、また当時の実存主義者やジュリエット・グレコもよく顔をだした有名なタブー(Tabou、rue Dauphine)、ズート・シムスやアレン・イーガーと言ったアメリカ人プレーヤーが演奏したサンタンドレデザール通り(rue St.Andre-des-Arts)のカメレオン(Cameleon),一番有名なクリュブ ブサンジェルマン(Club St.-Germain,rue St.Benoit,アート・ブレイキー、バルネ・ウィランのライブ録音で知られている)、そしてこれはサンジェルマンと方角が違って凱旋門の近くのダルトワ通り(rue d’Artois)にあったこれも有名なブルーノート(Blue Note)。これがパリでは初めての本格的なアメリカンスタイルのジャズクラブで、バッド・パウエル、デクスター・ゴードン、ズート・シムス、ジェイ・ジェイ・ジョンソン,カーメン・マクレー(マクレーとパウエルの共演もあった)、サラ・ヴォーン(サラとズートの共演もあってこの時はレディーの出演に敬意を表してクラブが珍しくピアノの上に花を飾った)といった大物が出演して人気を博した。


その後60年代になってからやはりサンジェルマンにジャズランド(オーネット・コールマン、ジョニー・グリフィン、ソニー・ロリンズ、ミシェル・サルダビー等が出演)、ル グラン スべラン、ラ ルイジアンなどもできたが、いずれもすぐに姿を消した。またストーリーヴィル(Storyville)や、トロワ メイエ(Trois Mailletz)といったクラブは、デキシーやスイングジャズでよりトラディショナルなジャズを好むファンを楽しませていた。


これらのジャズクラブで私がいったことがあるのは、全て1967年のことだがシャキペーシュ、クリュブ サンジェルマン、ブルーノート、カメレオンで、ブルーノートを除いてすべて地下にあり、多くは石作りの昔ワインセラーだった部屋を改造したもので、いかにもパリを感じさせる雰囲氣の良いクラブだった。今のパリのジャズクラブには残念ながらこのような雰囲氣のクラブは殆どない。


さてパリにあるたくさんのクラブの中で、なぜシャキペーシュが一番思い出深いかと言うと・・・。これは多分私が訪れた最初の外国のクラブだったということと、ここに私の好きなジャズメンが多く出演したことがあったからだろう。それはズート・シムス、バッド・パウエル(ちなみにパリに移り住んだパウエルが最初に出演したクラブがここで、その時のメンバーはパウエルの他、Chuck Israelsのベース、G.T Hoganのドラムスといった興味深い組み合わせ)、ドナルド・バード、アート・テイラー、そしてエリック・ドルフィーなどで、彼らがいったいどんな場所で演奏していたのか興味があった。私がこのクラブを訪れたのは、1967年の5月と11月の二回だけだが5月の時は、友人と二人でさんざん探した末、やっとこの小さなクラブを見つけ飛び込むようにして入っていった。黒塗りの表の壁の一部に“Johnny Griffin/Art Taylor出演中”ポスターが張ってあり、<やったー>と歓声をあげたのだった。


ところが中にはいってみると、右側にカウンターがあり、左側は椅子がならんではいるがどこにもステージはなく、なんとなく様子がおかしい。カウンターの中にいるスペイン系の顔をしたおばさんに訊くと、<ライブは地下よ>と指差す。急いで地下へ行こうとすると<今日はライブは休みよ>と連れない返事。日本人の若い2人(二人とも20歳でわりと可愛かった???)があせっているのを見て、かわいそうに思ったのか<ビールおごるからここに座りなよ>とカウンターに座らされた。2人ともまだビールは飲めなかったが、せっかくなので嫌々飲んだのだが・・・。<休み?だっておもてにGriffin/Taylor出演中、と書いてあったよ>と文句をいうと、そのおばさんは、<昨日まででていたけど、2人ともコペンハーゲンに行ったわよ>という。内心<しめた!!!>と思った。というのは、これから2人は皿洗いの仕事を見つけるため、コペンハーゲンへ行くからだ。Griffin,Taylorとも私のお気に入りで(今ではそうでもないが・・・)日本出発前から聴いてみたいと思っていたからだ。


そのうちだんだんと機嫌もなおりおばさんと色々お話する余裕ができてきた。おばさんの名前はカルメンといって、オーナーではないがこのクラブをしきっているという。1964年エリック・ドルフィーがこのクラブに出演していたのを知っていたので、ドルフィーのことを訊くと、3年前のことだから良く覚えていて、<あの人(ドルフィー)は本当によく練習していた。3時ごろに来て、ずっと練習していたよ。それに、私に蜂蜜ばかりねだっていたね。血の流れがよくなるっていってたわよ>。その当時はドルフィーは好きではあったが、まだそれほどでもなかったので、あまりその他には訊かなかったが、今思えばもっと色々訊いておけばよかったと、少々残念だ。


その後コペンハーゲンへ行き、さきほどのGriffin/Taylorのグループを聴いたり(カルメンのいったことは正しかった)、その他多くのアメリカ人ジャズメンを聴いたのだが、その話はいずれまた・・・・・。


さて2回目にこのシャキペーシュに行ったのはその年の11月。今度は一人で行った。今回はわけなく探しあて、また飛び込んでいった(どうも私はジャズクラブに飛び込むくせがある)。今度は地下のクラブへ一直線、階段を下りていくともう演奏が始まっていたが、不思議なことに主役のテナー、Nathan Davisの姿が見えずピアノトリオでブルースを演奏していた。メンバーはGeorge Arvanitas(p),Jacky Samson(b),そして左利きのドラマーCharles Saudraisでこの3人はいつも行動を共にしているという。暫く演奏していても依然として主役が来ない為、アルヴァニタスがソロを伸ばしに伸ばしていたが、やっとネイザン・デイヴィスがきまり悪そうに現われステージに上り、後ろ向きになって楽器を組み立て、此処しかない!!という絶妙のタイミングで客席の方を向き、ブルースのソロを始めたのは実に格好よかった。後になって考えたのだが、いつも遅れてきてこのテで受けを狙っていたのか?とも思ってが、まさかそんなこともあるまい。そうまで思うほど格好良かったNathan Davis.その後暫くして彼が日本に来たとき、だいぶしつこくエリック ドルフィーのことについて訊いたのだが嫌な顔もせず、親切に答えてくれた良い人だった。


デイヴィスのレコード(CD)を聴くたびに、あのシャキペーシュを懐かしく思い出す。噂によると、暫くオフィスとして使われていたこの場所が昔とおなじ名で、レストランとしてオープンしたようなので、ノスタルジアにかられる熱心なジャズファンであれば立ち寄るのもよいかもしれない。また10数年以上前の話だが、あるフランス人ジャーナリストが南仏に住んでいるというシャキペーシュの女性のオーナーだったマダム、リカールに昔話を聞きだして1冊の本にするといった話もあったようだが、どうも立ち消えになったようだ。いずれにしても、ブルーノート、クリュブ サンジェルマンと並んでパリのジャズシーンに重要な役割りを果たしたシャキペーシュ、その特異な名前と、素晴らしい雰囲氣とでパリジャンはもとより、遠く日本人にまで強い郷愁を感じさせてくれる良いジャズクラブだった。