8月13日(金)
ロッテルダムからスキポール空港までポール・カーティング氏に車で送ってもらい、コペンハーゲンへ向かう。送ってもらうのはいいのだが、飛行機の離陸の4時間前に着いてしまい、暇をもてあます。コペンハーゲン着後、いつも顔をだす大手レコード店へいくとあいにくオーナーは不在。約束していた古くからの友人、Peter・H・Larsen(ピーター・ホ・ラーセン)氏と夕食を供にする。ラーセンはデンマーク国営放送局のジャズ部門の責任者で、最近クラシック音楽部門へ配置換えになったという。ということは、これも私の友人のIb・Skovgaard(イプ・スコーゴー)がその後を継いだのだろうか?
ラーセンは3、4年前にデンマークラジオビッグバンドのマネージャーとして来日している。ピアニスト、ビル・エバンスの権威で昔エバンスのディスコグラフィーを編纂した人。とても良い人だが、奥さんを頻繁に取り換えるのが玉にキズ。この日曜日にカーステン・ダールのトリオを録音することを伝えると「それは良い。彼はとても才能があるし、いまデンマークで一番人気がある」といっていた。私が、「最近良いピアニストを聴いたか?」と尋ねると、ヨーロッパ人ではないが、カナダの女性ピアニスト、Lorraine
Desmaraisがとても良いという。彼はエバンス派のピアニストしか殆ど興味を示さないから、「当然エバンス派でしょう?」と訊くと、やっぱりそうだった。ラーセンは非常に耳の良い人だから素晴らしいピアニストなのだろう。よし、注目してみよう。
話がはずみ、魚料理も抜群ワインも一流、デザートのアイスクリームも大人の味で良い気分になったは良いが、お値段が気になりだした。案の定、ひとり9000円で私には過ぎた夕食だったが前回彼におごってもらったので、諦めておごったのだった。後は宝くじを買って当たるのを祈ろう。
8月14日(土)
私は海外旅行をすると、今でも興奮と緊張でほとんど眠れない。昔、デューク・ジョーダンの録音でパリに1週間滞在した時も、合計15時間しか眠れなかった。今朝もやっぱり3時間の睡眠だ。いつもぼけた頭が余計ぼけている。朝起きて見たくない鏡を見ると、すでに顔が疲労の色でいっぱいだ。今日はこの旅行で1番大事なヤン・ラングレンの結婚式だというのに・・。
朝10時、いつもレコーディングで一緒のベーシスト、イェスパー・ルンゴー夫妻が嬉しいことに結婚式場となるスウェーデンのMolle(ミューレ)まで車で連れて行ってくれるのでとても助かる。車でコペンハーゲンからスウェーデンのマルモ、ヘルシンボルイ、ミューレと2時間のドライブ。車中イェスパーは、最近また体の調子が余り良くないので仕事の量を減らしている、と言っていた。私は彼がヨーロッパでトップのベーシストだと思っているし、まだままだ一緒に仕事をしていきたいので、大事にしてくれと言った。
ミューレという村は、フランスのサントロペと同じようなリゾート地で海辺にある。サントロペほど有名でもなく、また大きくもないが、スウェーデン人にとって憧れの場所だそうな。披露宴があるグランドホテルで一服して、結婚式のあるBrunnbyというむらの教会へ行く。ラングレンが今専属契約しているシッテルの社長のMats
Josephson夫妻が車で送ってくれた。隣の席に美人が座っていたがシッテルで社長を補佐している、Madeleineという若い女性だった。車中で私が、「私が始めてスウェーデンに着いたその日(1967年秋)丁度スウェーデンでは交通システムが左通行から右通行に
に変わった歴史的な日で、街のいたるところで、警官とパトカーがいた。」と話すとみんな驚いていた。
さて教会は村のはずれにあり、着飾った人たちでにぎやかだった。スウェーデンの人たちは背が高く何を着ても良く似合う。女性も多くが金髪碧眼でびっくりするような美人が多い。こんな場所に私のような人間がいて良いものかと戸惑ったが(私はただ一人の東洋人)ここは覚悟を決める。出席者は約200人位だろうか?素敵な内部の教会で新郎新婦の入場を待つ。まず白のフォーマルスーツにピンクのチーフを首に巻いたラングレンがニコニコしながら入ってきて、祭壇のところで、神父と一緒に花嫁のヨセフィーヌさんのくるのをまちかまえる。床屋さんへいってきたばかりなのか、ちょっと髪型もサッパリしていて、いつもと少し印象が違う。やはり嬉しそうだ。しばらくして花嫁がお父さんと腕を組み入場。白いドレスに同じく白のファーを肩からかけて美しい。2002年にヤンと一緒に日本に来た時より少しほっそりした感じだ。ゆっくり祭壇へ向かい、神父から説教を聞き、誓いの言葉を述べる。このへんは日本のキリスト教の結婚式と全く同じ。そして日本と少し違うのは楽器による演奏が始まり(バイブラフォーンによるA
Nightingale Sang In Berkeley Squre、そして世界的なクラリネット奏者、Putte
Wickmanによるソロの聖歌そしてこれが変わっているのだが女性によるOne Note
Samba。)ムードを盛り上げる。その後教会の外で参列者から花束や祝福の言葉を貰ってにぎやかに歓談する光景も日本とあまり変わらない。
結婚式が無事終わると披露宴となり(1部2部とある)開場をグランドホテルに移す。1部は約2時間、海の見える庭でやはり2人を囲んで歓談。嬉しいことに、前日まで天気が荒れていたそうだが、この日はこれ以上はないというような穏やかな快晴。歓談する参列者のバックでは4人編成のバンドがボサノバを演奏している。海を見渡すと沖にヨット等浮かんでいて実に美しいところだ。新郎新婦も幸せだろうが私も結婚式とは関係なく良い空気を胸いっぱい吸い込み、陽の光をいっぱい浴びて久しぶりに自然の中に身をほうりだした感じだった。気がつくと品の良い老人、といってもまだ若い感じがする人が近寄ってきて、「いつも息子のヤンがお世話になっています。ヤンの父です。息子は貴方のことが大好きです。」と話しかけてきた。昔学校の先生をしていたラングレンの父親のオーべさんだった。顔もそういえば似ている。手に何か持っているのでたずねると、ラングレンのディスコグラフィーだった。そういえばこのディスコグラフィーを注文していたのをすっかり忘れていた。寝不足と飲みすぎたワインですっかり夢心地できまり悪くなりひとりで誰も来ないところで海を眺めているうちに1部が終わった。さすがに陽も傾いてきた。
第2部はホテルの広い部屋に場所を移しベーシスト、マティアス・スベンソンの司会で進んでいった。ワインや料理が運ばれおなかのすいた人たちは待ってましたと嬉しそうに箸(ナイフとフォーク)をすすめる。日本と違い普通の食事と同じように、美味しいステーキを口にほうばっていく。私の右隣にはイェスパー ルンゴーの奥さんのドルテ、左隣は女性ジャズトロンボーン奏者のミミさん。みんな遠く日本からやってきた私に気をつかってくれる。型どうり参列者が新郎新婦のエピソードなどを披露しながら披露宴が賑やかに進んでゆき、司会のスベンソンが眼でこちらに合図を送る。いよいよやってきた。スベンソンがこの時だけ英語で「今日の結婚式が真にインターナショナルと言える理由は遠い日本からわざわざこの結婚式に参列してくださったラングレンのCDを5枚製作したミツオ ジョーフをご紹介いたします。」と私にマイクを手渡した。この日のスピーチのため2週間特訓をした挨拶を(スウェーデン語)何と遠くスウェーデンの地で、しかも200人の前でする!!こんなことをするなど、誰が想像しただろう?ただ実に実に不思議なのだが神と仏のご加護か、全くドキドキしなかった。ドキドキしたといえば、かえってむかしPTAの役員をやらさていた頃、小学校の入学式で壇上から小さな子供に向かってお祝いの挨拶をした時のほうがはるかに緊張して、目の前真っ暗、心臓飛び出しそう、足ガクガク死ぬ思いだった。二度とあの時のことは思い出したくない!!それに比べると今回の挨拶は、オリンピックに出る選手ではないが<楽しんできたい>といった、どこかにある種の余裕のようなものが感じられ、完璧だった。え?どんなこと挨拶したの?と聞かれると・・・・あまりの内容の無さに呆れ返られるかもしれないが・・・・・。
「皆さん今晩は。私は日本人です。ヤン ラングレンとヨセフィーヌ テングブラットの結婚式へようこそ。私はヤンの新しい友達です。ヤンは私のソウルブラザーです。(ここで調子に乗り過ぎてて予定外の)ヨセフィーヌは・・・・・(といって言葉に詰まり)・・・・私の寿司娘(Sushi Daughter・・・ここだけ英語)です。(クスクス笑いが入る)。二人の幸せを祈ります。どうもありがとうございます。皆さんを愛します。」といった簡単なもの。こんな内容の挨拶を日本でやったら、石でも飛んでくるのは間違いないがそこはスウェーデン、ヤンヤの喝采で、まる
で満員のカーネギーホールに自分が立っているような錯覚を覚えた。小学校の入学式のあの失態とえらい違いだ。それだけ図々しくなったのだろうか?席に戻ると両隣のレディーが良くやったと、ずっと背中を強くさすってくれた。会場全員の視線を感じた。ヤンに向かって<4つ星か?>と指を4本立てたら、ヤンは5本立てて笑い転げていた。不安が心をよぎった。<これは受けたのだろうか?それともあまりにばかばかしい挨拶にたまげたのだろうか?>鳴り止まぬ拍手にいたたまれず、タバコを吸いに外へでた。その旨かったこと!!ああ、これで今夜もまた眠れないのか?Molleの夜は長かった・・・・。 |