確か高校3年生の時だったと思うが、同じ学年の友人、G君が<上不、面白いコンサートがあるから一緒に行かないか?>と持ち掛けてきた。G君は、高校1年生の時の同級生で、私をジャズ喫茶“ちぐさ”に連れて行ってくれた人である。<うん、行こう>と二つ返事で向かった先は、東京の新宿厚生年金会館だった。二人共学生服姿で、手には学生カバンを提げていた。今から思えば、高校3年生といえば受験勉強に専念しなければいけない大事な時期に、この行状では、お互いに希望の大学に進むことができなかったのはあたりまえだった。
資料を見ると、それは1964年の11月7日で、晩秋とは思えぬほど暑い日で、新宿へ向かう地下鉄のなかで汗ビッショリになったことをハッキリ覚えている。このコンサートは“This
Is Jam Session!”というタイトルで、出演メンバーは、Kenny・Dorham、Freddie・Hubbard(tp),Jackie・McLean(as),Benny・Golson(ts),Ceder・
Walton(p),Reggie・Workman(b),Roy・Haynes(ds)といった、超大物は居ないがいわゆる通好みのメンバーであり、司会を担当した故イソノてるオさんが、ロイ・へインズを<オン、ドラムス、ロイ・ステテテトン・へインズ!!!>と言って紹介していたのを思い出す。全くへインズのサウンドを的確に表現した見事な紹介だった。この時のメンバーの中で、アート・ブレイキーのグループですでに来日していたハバード、ウォルトンを除く5人が初来日だった筈だ(確かではないが・・)。私(私たち)の期待は、ドーハムとマックリーンだった。コンサートはまずシダー・ウォルトントリオの“枯葉”で始まったのだが、私は演奏よりも、ウォルトンの頭に、今の500円硬貨よりもっと大きな円形のハゲがあって気になってしかたがなかった。もっともその後ウォルトンは何回も日本に来ているが、再びこれ(ハゲ)をみたことがないから多分この時だけ神経的な理由でハゲがあったのだろう。
トリオの演奏の後、ホーン奏者を各々フィーチュアしてバラードメドレーや二人のホーン奏者が加わった曲ありでコンサートはすすんでいった。そのバラードメドレーは、ハバードのBody
And Soul,ドーハムのIt’s Magic,マクリーンのEasy Living,ゴルソンのI Remenber
Cliffordだったが、名古屋、大阪その他のコンサートでは曲も変わり、Skylark(ハバード)、My
Ideal(ドーハム)、Lover Man(マクリーン)等が演奏されたそうだが、ただゴルソンだけが最後まで自作のI
Remember Clifford で押し通したという。
私が期待したマクリーンは残念ながら調子が悪かった。ステージ左手から現れたマクリーンは少しアルコールが入っているのか、ふらつき気味で、顔も心なしか赤かった。例の独特の右肩を下げた演奏スタイルはBlu
Note,Prestige等のジャケットそのままだったが、当時ニューヨークであまり仕事が無かった為、演奏も精彩を欠いたのだろうか?事実、日本の関係者に<仕事を世話してもらえないだろうか?できれば日本に暫く住みたい>と洩らしていたという。マクリーンが次に来日したのは、たしかKenny
Drewと共に来た時で、私の印象ではこの時の演奏は数段すばらしかった。“ドクター ジャッケル”“リトル
メロネー”などいまだに忘れられない。
一方もう一人の期待のドーハムは、、。当時日本ではすでに彼の“Quiet Kenny”が人気を呼んでおりでおり、この渋いトランペッターにかなり大きな拍手が寄せられていたと記憶している。彼の痩身の姿がより背の高さを際立たせ、その物腰も今から思えば”Quiet
Kenny”そのままだった。プレーの方はいまだ衰えをみせず、レコードで聴く通り古くからのドーハムファンを納得させるものだったと思う。ところで最近外国のコレクターから、1963年のスウェーデンでのドーハムの演奏を記録した映像を手に入れたが(Scandia
Sky,The Morning OfCarnivalなど4曲)やはり相変わらずのひょうひょうとした演奏振りで懐かしかった。いま少し長生きしてバップの素晴らしさを伝えて貰いたかったと思うのは、私一人ではあるまい。
このコンサートでその他印象に残っているのはハバードとステテテトン・へインズで、ハバードの若さ溢れるプレーは断然他を抜きんじていた。いかにも上昇気流に乗ったような、テクニックに裏づけされたイマジネーション豊かなプレーは爽快ですらあり、新時代の到来をハッキリ告げていた。その一方ビバップ時代から活躍しているベテランドラマー、“小さな巨人”へインズの小気味の良い、それでいて叩く所は叩くメリハリの利いたドラミングはこのグループのリーダーを務めても良いのでは?と思えるほど素晴らしいものだった。特にラスト、全員が勢ぞろいして演奏したMr.PCでのドラムソロは際立っていて、このコンサートをしめくくるに相応しい熱演振りだった。
今から思えば、アート・ブレーキーの来日で啓示を受けた日本のジャズファンに、一匹狼の集まりのようなこのメンバーで、良くぞこの種類のコンサートを開いてくれたものだとありがたく思っているが、当時は“4大ドラマーの共演”といったユニークなコンサートも何回か有ったり面白かった。尤も今と違ってめったに見られぬ(聴かれぬ)ジャズコンサートだったから、聴く方にとっても真剣勝負だったわけで、<まあいいか、今回聴かなくてもまたそのうち来るだろう>というような甘い考えを持てなかったので気合の入り方が全然ちがっていた。
さてこのコンサートに出演した7人のプレーヤーの中で、ドーハムを除いて6人が今だに現役で活躍しているこの事実!これは大袈裟にいえば奇跡だ。逆に言えば、ただ一人世を去ったドーハムを聴けたのは実にラッキーだったともいえよう。一般のジャズファンにはドーハムがただ一度来日した事も知らぬ人が多いのも当たり前かもしれぬ。“静かなるケニー”、無表情で、それでいて真剣に、トランペットを吹き上げていたケニー・ドーハム。かって1953年、スウェーデンでクリフォード・ブラウンと並んで録音をしたアート・ファーマーは<ブラウンの偉大な才能に嫉妬しながら吹いた>と後年述懐しているが、この“This
Is Jam Session”でのドーハムの心理も、若く、才能豊かで怖いもの知らずのようなフレディー・ハバードのプレーにやはりある種のジェラシーを感じながらコンサートの仕事をこなしていたとするなら、彼の心の葛藤がそのプレーにも反映していたのかも知れぬ。どことなく他のプレーヤーと間を置き何か寂しげだったドーハムの姿が今も眼に残っている。丁度今から40年も前の古い思い出である。 |